- 投稿
- 海外旅行
フランス革命からの視点で読み解く海外旅行
MIYUKIです。
もう今から25年くらい前の話になりますが、初めて行った海外旅行はパリでした。
印象に残っている事は多々あるのですが、その一に、自動販売機が殆ど無かったという事です。(現在は分かりません)
石を投げると自動販売機に当たる位、あちらこちらに設置されている日本と違って、記憶では駅に数台スナック菓子の自動販売機があっただけでした。
美観を考えてなのか、盗難がひどいせいなのかその辺の所はよく分かりませんが、日本は少々多すぎる気がします・・・
私がまだ小学校前の頃、当然その手の自動販売機なるものはありませんでした。
がしかしそんな時代でも、一か所オレンジジュースの自動販売機があった場所があります。
現在「ホテルシューパロ」がある所は、当時夕張の唯一の「おかむら」というデパートでした。
登川から汽車に乗って、母にこの「おかむらさん」(みんなそう言っていました)に来ることは、本当に滅多にない大イベントで、ものすごい大都会に来たような感覚で、ひどく興奮したものです。
今でいうと、東京に行く様な感覚でしょうか?
田舎には到底ないようなものばかりがあり、それはそれは煌びやかな世界・・・
母親から離れ、姉妹3人であちこち探検しました。
当時、おかむらさんの店内に入った直ぐの所に、ジュースの販売機がありました。
うっとりと眺めてしまう「ジュースの自動販売機」・・・(●´ェ`●)ポッ
一番上がガラスのドームのようになっていて、細い管からオレンジジュースが噴水のように吹き出していて、機械の中で循環しているのです。
10円玉を入れ、備え付けの紙コップを置き、ボタンを押すとジュースが飲めるというものです。
私は運よく母から10円玉をおもらっていて、迷わずそのジュースを買って飲みました。
なんと冷たく甘いんでしょう、この世にこんな美味しい飲み物があるのだろうか?
少々オーバーじゃないのと思った若い人たち、当時はお菓子そのものが無い時代で、殆どはサツマイモやカボチャを茹でたものがおやつでした。
風邪をひいて熱が出た時だけ、みかんか桃の缶詰を食べさせてもらえる、そんな時代でしたから、甘いジュースが機械の中から出てくるそのシステムも含めて、それを飲めるという事は、子供心に一大出来だったのです。
私がどうして母親から10円を貰えたのか、ひょっとしてこのジュースはみんなで分けて飲まなくてはならなかったものなのかは、全く思い出せないんですが、とにかく一人でジュースを飲み干しました。
それを見ていた姉が、直ぐに母親のもとに走っていきました。
戻ってきた時には、手のひらに1円玉が10枚握られていました。
姉は嬉々として、その一円玉を一枚づつ機械に入れていきました。
確かに10円には変わりはありません。
しかしどうしたことでしょう?
ジュースの機械は、その一円玉をことごとく跳ね返してくるのです!
一円玉を次々に入れていく事に夢中になっている姉は、跳ね返ってきて床に落ちていく一円玉を拾う余裕なんてありません!
多分入れ方が遅すぎるのだろうか?と思ったのか、はたまた、飛び出してくるよりも早く次の一円玉をねじ込もうと思ったのか、姉はその入れるスピードを徐々に増していきました!(ノ゚ο゚)ノ
という事は、跳ね返ってくるスピードも増し、私と妹が跳ね返って落ちてくる一円玉を拾い集めるのに必死!
あっちにコロコロ こっちにコロコロ・・・
ほどなく、そんな3姉妹の織り成す滑稽なドラマを見ていた中年のおじさんが、
「10円玉しか使えないんだよ」
と教えてくれました。
そのおじさんがお金を両替してくれたかどうかは覚えていないのですが、どういう訳か、アルマイトの一円玉が、空しくピョンピョンと飛び出してくる光景だけが、はっきりと思い出せるのです・・・
海外旅行 僕たちは、運命に立ち向かった。
韓国で出会った、同じ国のお友達Yちゃんとは、共通点がいっぱいだった。